音楽の力と現代社会と私たちの目的
⾳楽は、さまざまな恩恵を私たちに与えてくれます。傷ついた心を優しく癒してくれたり、恐怖に立ち向かう勇気を与えてくれたり、あるいは闇夜に落ちる稲妻のように、⽣きるためのインスピレーションを与えてくれます。
また、同時に⾳楽は⾔葉を越えた⼒を持っています。だからこそ、音楽は国や⼈種、時代をも超えて愛されてきたのでしょう。そして⾳楽は⼈々の⼼を豊かにし、年齢や性別を越えて、あらゆる世代、あらゆる地域の⼈たちとの絆を作ることに⼤きく貢献してきました。
ところが、我々社会の劇的な発展を背景として、⾳楽とその価値観、またそれをとりまく世界のありようは大きく変化し、これまでにない新たな課題も生じています。私たちは、これらにおいて解決すべき重要な社会的課題が3つあると考えています。
商業主義による音楽の⼤量⽣産大量消費
いつしか⾳楽は「商品化」し、⼤量⽣産され始めたことで音楽業界は、音楽そのものへのこだわりより、収益を優先する状況となりました。近年ではインターネットの普及も伴い、更にこの勢いが加速し、やがて音楽は「使い捨て」のように⼤量に消費されるようになりました。
また、⾳楽を聴く側も、マスコミ、動画再⽣回数、ランキングなどの商業的プロパガンダにより「新しいものほどいい」という価値観を刷り込まれ、目新しいものに⾶びつく傾向が強まっています。その結果、音楽を創る側のミュージシャンたちも「売れること」「目立つこと」に執⼼し、ビジュアルやキャラクター、タレント性といった、本来の⾳楽性とは別の要素を重要視する傾向が強くなっています。
そうした⾳楽市場が形成されていく中で、⾎のにじむような努⼒に裏打ちされた演奏技術や、⼼の底から溢れるような表現力をもつミュージシャン達の注⽬される機会は⼤きく減少し、評価されにくい状況に陥っています。
真に実⼒を持つミュージシャンが評価される機会を失っている現在の状況は、ただ残念というだけでなく⼤きな「社会的損失」といえるのではないでしょうか。
デジタル技術の普及による音楽への影響
楽器に触れたことがない⼈でも、コンピュータアプリを操作する技術さえあれば完璧な⾳程とリズムをつくり出せるようになっただけでなく、録⾳された声や楽器の⾳⾊でさえ、後処理で修正可能になりました。そのため歌唱⼒や演奏⼒が⾜りなくても、⼗分「⾳楽」として通⽤する⾳源をつくり出せるようになりました。こうした最新技術のおかげで、誰でも⼿軽に⾳楽制作を楽しめるようになりました。これ自体は音楽の敷居を下げ裾野を広げるという意味では、とても素晴らしいことです。
しかし、その一方で音楽が「均⼀化」し、(人間らしさ)を備えた楽曲や演奏の減少にもつながっているのではないでしょうか。そして、その状況はミュージシャンの演奏⼒や表現⼒の低下も招き、⾃分らしい⾳へのこだわりや、クオリティの⾼い演奏への探究⼼、ひいては⾳楽への熱量といった、アーティストの感性の消失も引き起こしつつあるだけでなく、音楽を享受する我々の心や社会全体の(喜怒哀楽的)感情の劣化も進んでいる気がしてなりません。
長期不況と経済的格差が及ぼす機会損失
長年続く不況の中で、音楽活動はもはや経済的に余裕のある人のみが嗜むものになりつつあります。今後、さらに広がっていくであろう経済的な格差は、⾳楽にふれたり、学んだりする機会の平等性にも影を落としています。
⾳楽を学びたくてもレッスンを受けられない、演奏したくても楽器を購⼊できない、音の心配をせず練習できる場所の確保ができない。など、経済的な余裕がなければ幼い⼦どもや⻘少年はもちろん、成人でも⾳楽活動を継続できなかったり、どれだけ⾳楽の才能や熱い思いがあっても諦めなければならない現状が増えつつあります。
当会の目的
私たちは、これらの社会的事象を鑑み、純粋に⾳を愛する⼼と、それを表現できる才能さえあれば「公正に評価される状況の整備」と、機械やAIに頼らなくても個性的で質の⾼い⾳楽を⽣み出せるミュージシャンに夢と希望を与えるべく応援していくと共に、
デジタル技術の普及によって失われつつある「⼈間らしさを取り戻す機会の創出」そして、経済的な問題から、⾳楽への想いや才能があったにもかかわらず夢半ばで諦めてしまった⼈を⽀援する「再チャレンジの仕組みの構築」さらに、
生まれ育ちに関係なく、誰もが⾳楽の創作や演奏を楽しみ、その情熱や技術が評価される状態を取り戻すことで、⼈々の⼼をより豊かにする社会づくりに貢献していきたいと考えています。
また、この活動を通して積極的に海外に在住する伝説的ミュージシャンや一般⾳楽愛好家とも交流を図ることで、本物の⾳楽とそれを愛する⼈々の輪を広げていくとともに、素晴らしい⾳楽を⼦や孫の世代、さらに未来へと継承していくことが私たちの願いです。
一般社団法人 新日本音楽振興会